私がスラムを歩く理由
国旗の見える場所で

そこには地図に載っていない都市の層があった。
2023年、インドのある都市──私は迷い込むようにしてスラム街へ足を踏み入れた。
それは意図的な「撮影旅行」ではなかった。むしろ、意図から外れた場所。予定していた寺院への道を誤り、ふと気がつくと、私は見知らぬ人々の生活圏に立っていた。屋根にはブルーシート、壁のように吊るされた洗濯物、地を這うパイプ、並ぶ黄色い水の容器。子供たちの裸足が乾いたアスファルトを走り、水を汲みに向かう。路地は狭く、奥まで見通せるが、その奥に何があるのかは分からない。

その一角に、赤いサリーを纏った女性が座っていた。彼女の膝に身を寄せる子供、外国人が珍しいのか手を振る少女、こちらを不思議そうに見つめる少年。瞬間、私はシャッターを切った。とっさに撮ったのでピントは甘い。
だがその曖昧さこそが、当時の自分の「距離感」を正確に写しているようにも思えた。
私はそのとき、「スラム」を初めて「歩いた」のだ。
スラムという言葉には、どうしても「貧困」や「衛生の欠如」といった否定的なイメージが先行する。だが実際に足を踏み入れてみて最初に感じたのは、そこに漂う“生”の濃度だった。人が生きている──それも、たくましく。
目に映るものは、都市の中心部では想像すらしないような簡素な居住環境だ。けれど、そこには明確な生活のリズムと構造があった。朝は水を汲み、洗濯物を干し、子供たちは遊びながらも周囲の目を感じて過ごす。笑い声が響き、誰かが誰かを呼び、互いの体温が通じているような空間。都市の喧騒の中でどこか孤立しがちな「家族」や「隣人」という言葉が、ここではまるで呼吸のように自然だった。
そしてもう一つ、強く印象に残ったのは「目線」だ。
子供たちの目線。大人たちの目線。好奇心、警戒、無関心、そして時折交わされる微笑。どれも嘘ではない視線。観光客がカメラを向けた時の「ポーズ」とは違う、彼らなりの「まなざしの文化」がそこにはあった。

そのとき、ふと空を仰ぐと、スラムの上に、ひときわ大きなインド国旗が風にはためいていた。皮肉とも、象徴とも取れるその光景。不安定なシートの屋根越しに、堂々と掲げられた国家の象徴が見える。高く、遠く、こちらを見下ろすように。
その瞬間、胸の奥に言葉にならない感情が生まれた。

ここは確かにインドだ。だが、このインドはどこに属しているのか。
国家の恩恵は、この路地まで届いているのだろうか。
それとも、見上げることしか許されない象徴なのだろうか。
あまりに率直な構図に、私はカメラを構えずにはいられなかった。
国家の旗が掲げられている──その下で、人々は裸足で、子どもを抱えて、生きている。
「撮らせてもらう」ことの意味を、私はそのとき問い直された。
それは決して「被写体を与えてもらう」という受動的な行為ではない。私の視線と、彼らのまなざしが交差する場所──その「接点」こそが、写真の核心なのだ。

それから私は、スラムを歩く理由を探すようになった。
なぜ、自分はあえてこの場に足を運ぼうとしているのか。
何を「知りたい」と思っているのか。
何を「伝えられる」と思っているのか。

撮影対象としてのスラムではなく、生きる空間としてのスラム──そこにあるリアルに触れたかった。実際、スラムは一様ではない。都市ごとに異なる文化的背景、宗教、土地の歴史、気候条件が絡み合い、そこでの生活様式は大きく異なる。ある地域では水道インフラが存在せず、桶とバケツが命をつなぐ器となる。一方で、別の地域ではスマートフォンが唯一の情報窓口として機能していた。

しかし共通していたのは、人々がその場所で「生きていた」ということだ。
それは決して「生き延びている」ではなく、「生きている」だった。

後日、撮った写真を改めて見返した。
ピントは甘く、構図も不安定だ。技術的に見れば、優れた作品とは言えないだろう。

けれど──これは、私にとってスラムの「入口」だった。
社会問題として語られる以前に人が息をし、暮らし、祈り、育ち、怒り、笑う場所。
都市の忘れられた地層。その表面に立ち、私は自分自身の輪郭を知ったのかもしれない。

今も私は、カメラを持って路地を歩いている。
それは、ただ写真を撮るためではない。
スラムを「見る」ためでもない。
彼らの生と、私自身のまなざしが交差する点を、もう一度確かめるためだ。

私がスラムを歩く理由。
それは、人が生きていると、確かに感じられる場所だからだ。
そして、あの高く掲げられた国旗が、その場所の真実を照らしてくれると、
今もどこかで信じているからだ。

2023 インド
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