Fragment:003
熱量とカオスの
はざまで

「この都市は秩序ではなく、熱で動いている」
バングラデシュ、ダッカ。
ある午後、オールドダッカ(旧市街)に行こうと思った。
そこそこの大通りを曲がればオールドダッカに入るというとき、目の前に突然、色彩と音と人の渦が現れた。
リキシャ、リキシャ、リキシャ。道路を埋め尽くす手漕ぎ三輪車の群れ。
規則性はない。信号もレーンもない。だが、都市は確かに「動いている」。
運転手たちは、怒鳴るように、笑うように、互いに声をかけあう。
前に進むでもなく、止まるでもなく、ただ全体がうねるように動いている。
それはもう交通ではなく生き物のようだった。
私は思った。「これがカオスだ、これがオールドダッカだ」と。
だが立ち止まり、少しずつ観察しているうちに、その印象は変わっていった。
この混沌の中には、不思議な一体感があったのだ。
人々は押し合いながらも、ぶつからない。怒号もどこか柔らかい。
急停止も強引な割り込みも、誰も怒らない。
そこには明文化されたルールの代わりに、
呼吸のようなリズムが流れていた。
人と人が、空間を奪い合うのではなく、むしろ空間が瞬間ごとに人にあわせて形を変えていく。
都市そのものが呼吸し揺れているようだった。
この国の都市は、熱量によって動いている。
それを最も感じたのが、この混雑の中だった。
体を使って前へと押し出すリキシャワラ(運転手)。
後部座席に背を伸ばして座る若者たち。
誰もが自分の時間を生きているようでいて、どこかで全体の波に乗っている。リキシャそのものも面白い存在だ。
単なる移動手段であることを超えて、彼らの文化や美意識が染み込んでいる。
車体には、孔雀や花、英雄や神の絵が手描きであしらわれている。
ハンドルの傍にぶら下がるお守り、天井から垂れる布。
まるで一台一台が「人力デコトラ」のようだった。
都市の混沌の中でそれぞれが個性を放ちながら、それでも共存している。
それがこの国の「都市の原理」なのかもしれない。

日本の都市を歩いているときに感じるのは、
効率と秩序の中に生きることへの安心感だ。
一方で、バングラデシュでは、効率は優先されない。
だがそこには、「今この瞬間をどう通り抜けるか」だけに集中する身体性があった。
誰も未来を問わない。過去もさほど気にしない。
都市は今を積み重ねて、動き続ける。
この光景を「不便」と切り捨てるのはたやすい。
だが、私にはむしろそこに、「都市の原初的な姿」があるように思えた。
都市とはそもそも、人と人がぶつかり合いながら、瞬間ごとに形を変え続けるものだったのではないか。
カオスとは無秩序というよりも、秩序の形を持たない状態のことだ。
それは必ずしも劣っているのではなく、構造が言語化されていない状態にすぎないと思う。
この都市の中に満ちていたのは、そうした『未定義の構造』だった。
私たちが交通と呼ぶものとは別のロジックで、都市はここでも確かに機能していた。
その論理は目に見えない。だが、人々の動きと空気の流れの中に確かに存在している。
都市が動くとき、それを動かすのは行政でも信号でもなく、人の意志と体温、そして他者へのわずかな配慮だ。
それがこの熱量となって「リキシャのうねり」に凝縮されていた。

Fragment:003「熱量とカオスのはざまで」
そこにあるのは混沌ではなく、
人の数だけ都市のかたちが生まれ続ける瞬間の連続だった。
2024 バングラデシュ・ダッカ


Back to Top